Ken's Life

PCをいじること、音楽を聴くこと(メロディの良さをを基準に判断することが多くChemistryやSuperfly,広瀬香美,ドリカムなどが多い)、野球、バスケ観戦が好きな人のブログ。

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
--.--.-- --:-- | スポンサー広告 | トラックバック(-) | コメント(-) |
10月8日に渋谷公会堂でCHEMISTRYの堂珍嘉邦がソロとして活動して初めてのライブである「A La Musique」が行われたので、それに行ってきた。

感想からになってしまうけど、堂珍さんと要さんのソロ活動をやるに至った理由にハッとさせられたライブだったな、ということ。

CHEMISTRYとして活動していた2月からスタートした全国ツアーライブ「Trinity」をやっていて4/7に最終公演の地である沖縄でソロ活動宣言をしたんだけど、ライブに参加されていた方々のTwitterのCHEMISTRYのクラスタのTLを見て解散を勘ぐってしまった。CHEMISTRYの音楽を当たり前に受け取っていたからなのかもしれないけど、”ソロ活動をやった後は傑作が出来ることがある”というフォロワーのTwtを読んでこれは解散ではないのだな、と。

B'zのソロ活動

このライブに参加された方と、堂珍さんのライブや今後の方向性がどうなるのかなどを話していて、ブログにアップされていた記事を読んでいたら堂珍さんと川畑さんのソロ活動を始めた理由として考えられるのが、Michael Jordanの引退宣言と似ていることをふと思い出した。長年Chemistryのファンをされていた方にとっては「名前だけなら聞いたことある」「ダンクが凄かった人?」程度かもしれないけど。

何故「堂珍さんと川畑さんのソロ活動のことなのに、外様のMichael Jordanの話を引き合いに?」と思った人も居るだろうけど、前者の二人がソロ活動を始める経緯が正にMichael Jordanと似ているところがあると感じていた。

Michael JordanはHIS AIRNESSというDVDの中で、

優勝後にシーズン全体を振り返ってみた。バスケのことや人生や目標についてもね。
色々あって疲れていて、責任や期待で精神的に参っていたんだ。
自分が来た道を忘れてしまった。頂点に留まりすぎてしまったから成長の過程を忘れてしまったんだ。
引退について父に相談をした。本当に自分のやりたいことかよく考えたかった。

と。

このMichael Jordanが語っていた「本当に自分のやりたいことかよく考えたかった」っていう節が、
CHEMISTRYの二人が「今やっている音楽は本当にCHEMISTRYというデュオとしてやりたい音楽なのか?」と
悩んでいたのではないかと感じた。(その後、当時のChicago BullsのHCをしていたPhil JacksonはMJが「バスケをやりたいという情熱がなければ、退屈し才能も失う」と漏らしていたと語っている)

ただ、実際には5周年のアルバムを出したときに「え?CHEMISTRY終わり…?」って勘ぐり始めていて、デュオとしてCDを発表していったことでそれは薄らいだけれど、昨年7月にさいたまスーパーアリーナで行われた「Neon」のLiveで新曲として「Indipendence」を出すと発表していた時に「もしかしたらデュオとしてやらなくなるのだろうか…?」という気持ちが頭を過っていたんだよね。この頃には堂珍さんと川畑さんの中で「ソロを出して本当にやりたい音楽を見つめす」という答えが出ていたのかもしれないと感じた。

その後にJordanは父親のJamesを不慮の事件で亡くし、引退会見では「バスケット選手として勝利への意欲を失い、引退する時期が来ました」って言ってたんだけど、それと同じようにMJの引退会見のようなCHEMISTRYとして音楽を作る意欲がなくしたってわけじゃないけど「本当にやりたい音楽」がぼやけてしまったんじゃないかなって。

Jordanは引退宣言後にホワイトソックスの2Aチームに入団し、127試合に出場して打率はやっとこさの.202、11個のエラーを犯してしまい、大リーグに昇格することはできなかった。

けれどもMJはこう語ってた、

野球のおかげで父との時間を生きることができた。父は僕の心の中にいる。
僕の成功はすべて父の教えのおかげだよ。それが分かったら気持ちの整理がついた。
セラピーみたいな期間だった。自分と和解が出来たんだ

って。

実質的には野球の挑戦は1年近くで終わった。
ただ、JordanのNBAへの復帰はストライキがきっかけだった。
1994年の大リーグはシーズン中にもかかわらずストライキを行っていたこともあって、交渉がまとまらない状況を打開したいからとオープン戦に出場させ、それに従えないなら球団施設を使わせなくすると突きつけて、球団社長がMJにはこの措置を適用させないと約束してたけど、関係者がこれを反故にしようとしたことで関係が拗れてしまったんだよね。

んで、Jordanが1995年3月19日に「I'm back」って戻ってきたわけ。
火曜日にTweetしたときはここまでで終わったんだけど、これには続きがあって、その詳細を。

シーズン末の17試合に参加して、Playoffでは1回戦こそ突破することはできたけど、次のカンファレンス準決勝で
ShaqとPennyの前に些細なミスを繰り返してしまい、2勝4敗で敗れてしまった。

その後、NBAに順応出来る体型を取り戻すべくPippenやShaq,Reggie Millerなどを呼んで合同練習を行うなどしてトレーニングを積み重ねて1995-96シーズンを迎えることになる。

この年は開幕から連勝に連勝を重ねまくり、72勝10敗というとんでもない数字を残して見せた。レギュラーシーズンでの72勝はNBA記録であり、この記録を破ったチームは表れていない。
Playoffで前年にShaqとPennyの前に敗退した屈辱を晴らし、1992-93以来のFinal進出を果たし、Seattle Super Sonicsと対戦。敵地で2敗を喫するものの、ホームでの第6戦で優勝を奪還することに成功してみせた。

翌シーズンも69勝をマークしてPlayoffに進出し、FinalでKarl MaloneとJohn Stockton擁するUtah Jazzと対戦。敵地での第5戦は試合前日に体調不良を起こし、16点ビハインドを強いられたにもかかわらずチームのオフェンスを牽引して90-88で勝利に導くと、ホームでの第6戦で5度目の優勝を決める。

翌97-98シーズンはHCであるJacksonがシーズン後の退任を仄めかしていて、Pippenが故障で欠場を強いられたにも関わらず62勝をマーク。Playoffはカンファレンス決勝のIND戦でどちらも敵地で勝利を奪えない展開でフルセットの末、88-83で勝利してFinalに進出。
その前年の対戦相手だったUTAHと対戦し、第1戦と第5戦に敗れるが、第6戦の4Q残り5.2秒に決勝点となるジャンプシュートを決めて6度目の優勝、2度目の3連覇をChicago Bullsに齎した。87-86と1点差での勝利だった。

色々書いたけれど、CHEMISTRYのファンの方ってNBAは普段聞かない分野なので(?)取り留めのない文章だと思わせてしまった部分もあると思う。

でも、本当に言いたいことはこんなところなんだよね。

Michael Jordanは1度目の引退前はSlam Dunkerとしてキャリアを送った。
でも、野球のマイナーリーグでの経験を経て1度目の引退から復帰した後は技巧的なJump Shooterとして勝負所で決勝点を挙げる場面が多くなってプレーに洗練さが出るようになった。
それと同じように、今の堂珍さんと要さんがソロを経験してCHEMISTRYとして戻ってくるときはデビューした時よりも曲が洗練されてると思う。
それでもって今まで歌った曲も戻ってきたときにリリースするであろう曲もデビューした時とは洗練されたように聞こえると思う。

と。

<引用>
Wikipedia マイケル・ジョーダン
Basketball Reference(海外のサイト)
スポンサーサイト
| ホーム |
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。