Ken's Life

PCをいじること、音楽を聴くこと(メロディの良さをを基準に判断することが多くChemistryやSuperfly,広瀬香美,ドリカムなどが多い)、野球、バスケ観戦が好きな人のブログ。

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ご無沙汰です。メンタルがやられているKenです。 
皆さんも職場の人間関係にはご用心を←

さて、メンタルがやられている人にとって久々に明るいニュースが舞い込んで参りました。

それがCHEMISTRY活動再開。 

いやぁ、これ聞いたときは二度寝が出来ないくらい嬉しかったですよ。 

Twitterじゃ僕と同じCHEMISTRYクラスタさんから喜びの声が上がりまくる、上がりまくる。 

で、日刊スポーツにも載るし。(買ってないけどw)

そのお陰か、実習が捗りましたよ。 
僕がTwitterで書くことが多いNBA。
そのNBAを代表する選手であるレブロンジェイムスとコービーブライアント、マイケルジョーダンという選手が好きなんですが、そのレブロンがいるCLEはNYKに32点差で勝利ともう興奮が止まらないったらありゃしない。12/8という日付は忘れられない日になりそうですな。


今回のCHEMISTRYの活動再開って、仕事とバックグラウンドが違うだけでレブロンジェイムスのマイアミで過ごした4年間やマイケルジョーダンの野球挑戦とかと中身は大して変わらないように思うの。 

CHEMISTRYとしての活動する意義を見失ったという意味では、バスケを続ける意義を見失ったジョーダンに似ていて、 

4年間ソロ活動に専念し、様々な経験を積んだという意味ではレブロンのマイアミで優勝の美酒を2度も味わった4年間とも似ていると思う。  

ここで二人のソロ活動を簡潔にまとめると、
堂珍は「醒めながら見る夢」で映画初主演、「柘榴坂の仇討」や「悼む人」に映画出演したり、舞台の「Rent」でロジャー役、「ヴェローナの二紳士」ではヴァレンタイン役を演じたり、堂珍の出身地球団である広島東洋カープに所属する堂林翔太選手に向けた「Fly Away」を製作したり、ブルーノート東京で2014年10月と2016年3月の2度出演。2012年9月からはInterfmのラジオ番組「Now What Can I see?」のMCを務めるなどしている。

一方の川畑は「サマーウォーズ」や「グッバイ・Dr.ハリー」を朗読したり、TBSの深夜バラエティ「UTAGE!」にレギュラー出演して歌手として多数のカバー曲に挑戦したり、ミュージカル「愛の唄」にマサムネ役で出演。更に不定期ながらUstreamで「川畑要の無一文」をイベント毎に配信したり、2014年12月に出身の葛飾区親善大使に就任するなどしている。

因みに野球挑戦を経たジョーダンのその後は?というと、
豪快にスラムダンクをかっ飛ばすスタイルから技巧なジャンプシューターとして生まれ変わった。
CHIに復帰した1994-95シーズンはプレイオフでORLに敗退して優勝を逃したものの、その翌年のレギュラーシーズンで72勝をマークしてそのプレイオフでは前年敗北したORLにリベンジ。その勢いでファイナルに進出して第6戦で優勝の美酒を味わい、1997年、1998年と3連覇を達成して見せた。

一方のマイアミ挑戦を経たレブロン。
2013-14シーズンのオフに2003年にドラフト指名されたCLEに復帰。ファンに優勝を約束し、2014-15シーズンからはカイリー・アービング、ケビン・ラブと「BIG3」を形成し、序盤こそ苦戦を強いられるものの後半戦から嚙み合うようになって53勝をマーク。2009-10シーズン以来に復帰したプレイオフでは1回戦でラブを肩の脱臼で失いながらも、自身5年連続のファイナル進出の勤続疲労をものともせずに8年ぶりのファイナル出場を果たしたが、そのファイナルでアービングを膝の半月板損傷で失って第6戦で敗退。しかし、翌年のファイナルでの再戦では第4戦を終えた時点で1勝3敗と土俵際に追いつめられる厳しい展開から巻き返して、第7戦で勝利。1964年のNFLのクリーブランド・ブラウンズ以来52年ぶりの優勝を齎してみせるという快挙を達成してみせた。

先述のジョーダンは1991年から1993年に続き、1996年から98年にかけて3連覇を2度達成して6度の優勝を達成していて、レブロンは2010-11シーズン以来昨季まで6年連続のファイナル進出を達成し、そのうち3度の優勝を手にすることに成功している。これは外部からの経験を取り入れて競技者として勝者となり続けるために必要なことを学んだことが理由であると考える。ジョーダンは父親を銃殺で失ったことによる精神的ダメージがあまりにも大きかったため、野球挑戦はセラピー的な要素が強かったが、野球から学んだことは勝者となり続けるために必要なこと以外にも多く存在したものと思われ、レブロンも同様ではないかと思われる。

仕事やバッググラウンドは全く異なるものの、堂珍や川畑にも同じことが言えるのではないか。4年間のソロ活動専念を通して「表現者として必要なことは何か」を学んできたのだと思う。だからレブロンやジョーダンと似ていると言ったのはそれ故である。

CHEMISTRYは2017/2/28と3/1に再始動ライブを東京国際フォーラムで行うことになっているが、「ソロ活動を経て強くなったCHEMISTRYを、待ってくれているファンの皆さんに見せたい」と語っている。ジョーダンは豪快なスラムダンカーから技巧派ジャンプシューターに生まれ変わって見せたが、果たしてCHEMISTRYの二人は人気全盛期のころとどんな違った魅力を見せてくれるのだろうか?興味津々である。
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10月8日に渋谷公会堂でCHEMISTRYの堂珍嘉邦がソロとして活動して初めてのライブである「A La Musique」が行われたので、それに行ってきた。

感想からになってしまうけど、堂珍さんと要さんのソロ活動をやるに至った理由にハッとさせられたライブだったな、ということ。

CHEMISTRYとして活動していた2月からスタートした全国ツアーライブ「Trinity」をやっていて4/7に最終公演の地である沖縄でソロ活動宣言をしたんだけど、ライブに参加されていた方々のTwitterのCHEMISTRYのクラスタのTLを見て解散を勘ぐってしまった。CHEMISTRYの音楽を当たり前に受け取っていたからなのかもしれないけど、”ソロ活動をやった後は傑作が出来ることがある”というフォロワーのTwtを読んでこれは解散ではないのだな、と。

B'zのソロ活動

このライブに参加された方と、堂珍さんのライブや今後の方向性がどうなるのかなどを話していて、ブログにアップされていた記事を読んでいたら堂珍さんと川畑さんのソロ活動を始めた理由として考えられるのが、Michael Jordanの引退宣言と似ていることをふと思い出した。長年Chemistryのファンをされていた方にとっては「名前だけなら聞いたことある」「ダンクが凄かった人?」程度かもしれないけど。

何故「堂珍さんと川畑さんのソロ活動のことなのに、外様のMichael Jordanの話を引き合いに?」と思った人も居るだろうけど、前者の二人がソロ活動を始める経緯が正にMichael Jordanと似ているところがあると感じていた。

Michael JordanはHIS AIRNESSというDVDの中で、

優勝後にシーズン全体を振り返ってみた。バスケのことや人生や目標についてもね。
色々あって疲れていて、責任や期待で精神的に参っていたんだ。
自分が来た道を忘れてしまった。頂点に留まりすぎてしまったから成長の過程を忘れてしまったんだ。
引退について父に相談をした。本当に自分のやりたいことかよく考えたかった。

と。

このMichael Jordanが語っていた「本当に自分のやりたいことかよく考えたかった」っていう節が、
CHEMISTRYの二人が「今やっている音楽は本当にCHEMISTRYというデュオとしてやりたい音楽なのか?」と
悩んでいたのではないかと感じた。(その後、当時のChicago BullsのHCをしていたPhil JacksonはMJが「バスケをやりたいという情熱がなければ、退屈し才能も失う」と漏らしていたと語っている)

ただ、実際には5周年のアルバムを出したときに「え?CHEMISTRY終わり…?」って勘ぐり始めていて、デュオとしてCDを発表していったことでそれは薄らいだけれど、昨年7月にさいたまスーパーアリーナで行われた「Neon」のLiveで新曲として「Indipendence」を出すと発表していた時に「もしかしたらデュオとしてやらなくなるのだろうか…?」という気持ちが頭を過っていたんだよね。この頃には堂珍さんと川畑さんの中で「ソロを出して本当にやりたい音楽を見つめす」という答えが出ていたのかもしれないと感じた。

その後にJordanは父親のJamesを不慮の事件で亡くし、引退会見では「バスケット選手として勝利への意欲を失い、引退する時期が来ました」って言ってたんだけど、それと同じようにMJの引退会見のようなCHEMISTRYとして音楽を作る意欲がなくしたってわけじゃないけど「本当にやりたい音楽」がぼやけてしまったんじゃないかなって。

Jordanは引退宣言後にホワイトソックスの2Aチームに入団し、127試合に出場して打率はやっとこさの.202、11個のエラーを犯してしまい、大リーグに昇格することはできなかった。

けれどもMJはこう語ってた、

野球のおかげで父との時間を生きることができた。父は僕の心の中にいる。
僕の成功はすべて父の教えのおかげだよ。それが分かったら気持ちの整理がついた。
セラピーみたいな期間だった。自分と和解が出来たんだ

って。

実質的には野球の挑戦は1年近くで終わった。
ただ、JordanのNBAへの復帰はストライキがきっかけだった。
1994年の大リーグはシーズン中にもかかわらずストライキを行っていたこともあって、交渉がまとまらない状況を打開したいからとオープン戦に出場させ、それに従えないなら球団施設を使わせなくすると突きつけて、球団社長がMJにはこの措置を適用させないと約束してたけど、関係者がこれを反故にしようとしたことで関係が拗れてしまったんだよね。

んで、Jordanが1995年3月19日に「I'm back」って戻ってきたわけ。
火曜日にTweetしたときはここまでで終わったんだけど、これには続きがあって、その詳細を。

シーズン末の17試合に参加して、Playoffでは1回戦こそ突破することはできたけど、次のカンファレンス準決勝で
ShaqとPennyの前に些細なミスを繰り返してしまい、2勝4敗で敗れてしまった。

その後、NBAに順応出来る体型を取り戻すべくPippenやShaq,Reggie Millerなどを呼んで合同練習を行うなどしてトレーニングを積み重ねて1995-96シーズンを迎えることになる。

この年は開幕から連勝に連勝を重ねまくり、72勝10敗というとんでもない数字を残して見せた。レギュラーシーズンでの72勝はNBA記録であり、この記録を破ったチームは表れていない。
Playoffで前年にShaqとPennyの前に敗退した屈辱を晴らし、1992-93以来のFinal進出を果たし、Seattle Super Sonicsと対戦。敵地で2敗を喫するものの、ホームでの第6戦で優勝を奪還することに成功してみせた。

翌シーズンも69勝をマークしてPlayoffに進出し、FinalでKarl MaloneとJohn Stockton擁するUtah Jazzと対戦。敵地での第5戦は試合前日に体調不良を起こし、16点ビハインドを強いられたにもかかわらずチームのオフェンスを牽引して90-88で勝利に導くと、ホームでの第6戦で5度目の優勝を決める。

翌97-98シーズンはHCであるJacksonがシーズン後の退任を仄めかしていて、Pippenが故障で欠場を強いられたにも関わらず62勝をマーク。Playoffはカンファレンス決勝のIND戦でどちらも敵地で勝利を奪えない展開でフルセットの末、88-83で勝利してFinalに進出。
その前年の対戦相手だったUTAHと対戦し、第1戦と第5戦に敗れるが、第6戦の4Q残り5.2秒に決勝点となるジャンプシュートを決めて6度目の優勝、2度目の3連覇をChicago Bullsに齎した。87-86と1点差での勝利だった。

色々書いたけれど、CHEMISTRYのファンの方ってNBAは普段聞かない分野なので(?)取り留めのない文章だと思わせてしまった部分もあると思う。

でも、本当に言いたいことはこんなところなんだよね。

Michael Jordanは1度目の引退前はSlam Dunkerとしてキャリアを送った。
でも、野球のマイナーリーグでの経験を経て1度目の引退から復帰した後は技巧的なJump Shooterとして勝負所で決勝点を挙げる場面が多くなってプレーに洗練さが出るようになった。
それと同じように、今の堂珍さんと要さんがソロを経験してCHEMISTRYとして戻ってくるときはデビューした時よりも曲が洗練されてると思う。
それでもって今まで歌った曲も戻ってきたときにリリースするであろう曲もデビューした時とは洗練されたように聞こえると思う。

と。

<引用>
Wikipedia マイケル・ジョーダン
Basketball Reference(海外のサイト)
2日から始まった卒業判定試験、7日に終わり、今は教習所に集中している。

でも、路上はホントに怖い。
まず、どこから車や歩行者が出てくるか分からない。(安全確認がしにくい)
次に、前に集中するから後続車や障害物の確認がしづらい。
教習を行っていくうちに改めて所内と路上の違いを思い知った前半六時間だった。

今日も教習を7時から1時間受けてきた。
今日の内容は『急ブレーキシミュレーション』。所内のシミュレーション室でのシミュレーション機で行った。

まず、晴れている直線での急ブレーキで30・50・80kmを体験し、
次はカーブ、晴天、湿潤、凍結、積雪の四つの状態にあるカーブでの急ブレーキ、路上、高速道路などでの避譲などを体験する。

前は見えていても、車は急に止まれない。

今日の教習でそれが一番感じたことだ。
因みに車が止まるために必要な停止距離は30?で14m、50?では32m、80では76m、100?ではなんと112mも走るのだ。やっぱり車は怖いし、急に止まれないことが分かる。(今日の機械では30で10m、50で25m、80で40m、という感じだった)

明日は朝から一日教習だ。
今月から来月31日まで、春休み中の免許取得を睨んで予約をバシバシ入れている人のために9時まで教習している。もちろん自分もバンバン予約は入れているが、3月には免許を取れるようにしたいものだ。
昨日「Love Letter」を観ました。

VHSと小説
ラヴレターラヴレター
岩井 俊二 (1998/03)
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Love Letter 【劇場版】Love Letter 【劇場版】
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あらすじ
三年前に山から転落死してしまった藤井樹。
彼の婚約者である渡辺博子が天国の彼に送ったはずの手紙の届き先は、偶然にも彼の初恋の相手で、彼と同姓同名の女性だった・・・。

感想
凄い温かい作品だった!
この二人の文通は取り留めが無い文章で、温かみがあって面白かった。
その文通を機に、二人の心が通い合い、お互いに希望が生まれるところも◎。
彼の山登りの友人でガラス職人の秋葉と博子の交流も◎です。


特にこのシーンは凄く印象的でした。

お元気ですかぁ!!! 私は元気です!!!

博子が樹に向かって叫んだこのシーンは、すごく心を打たれました。

そして、この話のラストの
劇中で出てきた「?失われたときを求めて?」の貸出カードの裏に描かれていた樹の似顔絵も綺麗でした。
遅すぎるアップとなりますが、5月14日?19日までハワイに行ってきました!!

実はボクにとって、今回で2回目のハワイです。
前回は家族で行ってきたのですが
今回は校外学習です。

とにかく暑い!!夏のような暑さでした。ただ、朝と夜は涼しいという感じでした。(クーラーは要らないくらいだったかな
街並みは何処へ行っても「撮りたい!!」と思うものばかりでした。(実は行く前に父が3枚入りのフィルムを買ってきてくれたのですが、そのフィルム3枚目もあと4枚!というくらい撮ってきました

今回のハワイで一番の楽しみは買い物。
ボクはお世話になった人に対してお土産を買うとき、ご当地モノを買ってくるのですが、ABCストアで「コロン」や「プリッツ」が普通に売ってました。今回はご当地のコナコーヒー仕様の「コロン」を4箱入りで買ってきました。お世話になった方々がほとんどですが、いずれも好評でした。(コナコーヒー、最高!!

ボク自身の買い物で凝っていたのはTシャツでした。
ボクが服を選ぶときはデザインを重視します。
そのためか、大きなショッピングモールに行ったときにあまり買えませんでした。(実際買ったのは2枚だったか
ただ、みんなが凝っていたのはアロハシャツ。
これは、真剣に選んでいたようで、中には3枚以上も買った人もいました。

実は、この買い物においての最大の楽しみは最後の最後に訪れました。
最終日、ハワイから日本に帰る前の自由行動のときでした。何だと思いますか・・・?








そう、スタバのご当地タンブラーだったんです!!









「タンブラーごときでなぜ大喜び?」と思うかもしれませんが、実は、ハワイに行く前日に日本でスタバを初体験して、その過程でタンブラーを見つけて「ハワイに行ったら絶対買ってやる!!」と心に決めていました。(初スタバ、◎!!
で、ハワイから日本に帰る前に空港内での自由行動があって、偶然スタバを見つけてそこで買ってきました。(ご当地デザインで、日本より大きかった

名所見学はヌアヌパリ・ドールパイナップル畑・ポリネシア文化センターなどに行ってきました。

一番印象に残ったのは、ドール。
パイナップルのアイスクリームが3ドルぐらいだったのですが、これが美味しい!!ハワイに行った方はぜひ体験してみた方が良い味です。

学校生活は残り少ないですが、卒業後も海外に行きたいです。
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